SM美容術入門52 - 雪村春樹(3)

大きな目標が成長を促す

 

 『濡木痴夢男 新・縄の世界 縄酔い巨乳娘 河合春菜』(シネマジック、1993)での濡木痴夢男と雪村春樹。

 

40歳を過ぎた頃に、カメラマンからAV監督に本格転向した雪村春樹。

大洋図書、シネマジック、二見書房などからのビデオ作品を監督する機会が多く、緊縛モノの作品が中心です。

監督と同時に、モデルの緊縛も担当します。

カメラマン時代から、プライベートである程度緊縛もしていたようなのですが、AV監督転向直後の緊縛を見ても、あまり上手くはありません。

ところが、わずか数年の間に、驚くべきスピードでその緊縛技術を高めます。

この、急激な緊縛師としての成長には、濡木痴夢男の存在が大きかったのではないでしょうか。

SM美容術入門51 - 雪村春樹(2)』で紹介したように、1989年に名作『縄炎~美濃村晃の世界~』(シネマジック)を監督するチャンスを得た雪村春樹。

この作品では純粋に監督業に専念しているのですが、この制作を通じて、須磨利之(美濃村晃)や濡木痴夢男、団鬼六などのSM界の第一人者と接する機会を得た雪村春樹。学ぶことが多かったはずです。

特に、おそらく緊縛師としては全盛期だったと思われる濡木痴夢男とつながりができたのは、緊縛師・雪村春樹にとっては大きな意味をもちます。

1990年代の初めといえば、濡木痴夢男は「緊美研」と呼ばれるレベルの高い緊縛研究会を頻繁に開催しており、その会報の「緊美研通信」と呼ばれる緊縛愛好家向けの雑誌も発行していました。

濡木痴夢男の「緊美研」の会報誌でもある「緊美研通信」第9号の表紙。1992年に発行。

雪村春樹が濡木の「緊美研」に出席していたかどうかはよくわからないのですが、生前の雪村の書斎には「緊美研通信」が何冊もあったのは事実。この時期の濡木痴夢男の緊縛を熱心に吸収しようとしていたのだと想像します。

 

SM美容術入門51 - 雪村春樹(2)』でもでてきた、雪村春樹のサポーターでもある大洋図書の社長の小出英二は、「緊美研」の常連だったようです。

そういった背景も関係するのだと思いますが、1993年2月には、大洋図書から『縄恋秘抄』という濡木と雪村が出演するAV作品が発売されます。

 

 

この『縄恋秘抄』の作品の撮影に関連して、大洋図書系列のSM雑誌「SMスピリッツ」の1993年2月号に『濡木痴夢男vs雪村春樹・縄の達人たち語る  THE KINBAKU談義』という記事が出ています。

「希代の縄師・濡木痴夢男、そして、気鋭のSMビデオ監督、縄師・雪村春樹ががっぷり四つに組んだ作品が制作されている」と謳われる『縄恋秘抄』

 まあ、しかしはっきり言って、この時期の濡木痴夢男は確かに「希代の縄師」で「達人」で間違いないですが、雪村春樹はまだまだ「達人」のレベルには達していません。なにせ、この撮影の時点で、雪村は「最近やっと100人縛った」レベルですが、濡木は3,000回縛り現場をこなしているベテランです。大洋図書としては、他の出版社の手に染まっておらず、今後もさらに伸びそうな雪村春樹をプロモートするために、大物の濡木痴夢男と組ませて、ビデオ発売、記事作成をおこなったのではないかと想像されます。

実際、この『縄恋秘抄』というAV作品、2部構成になっており、前半は濡木痴夢男が二人のモデルを緊縛していくプロセスを、監督である雪村春樹が撮影した作品で、後半は、撮影日も撮影場所も異なる、雪村春樹一人での、どちらかというと、ボンデージ系(革製品の口枷などを使い、緊縛も白い綿ロープでおこなっている)の縛りのパートから構成されています。後半の雪村のパートには、濡木はもちろん出ていません。なんだか木に竹を接いだような中途半端な構成のビデオになっています。

濡木痴夢男のパートでは、濡木が二人のモデルを縛る過程が映像に収められています。雪村は登場せず、ところどころに声が聞こえる程度です。 

同じく1993年に、シネマジックから『濡木痴夢男 新・縄の世界 縄酔い巨乳娘 河合春菜』が出ますが、これにも雪村春樹がからんでいます。

こちらの作品は雪村は監督としてはクレジットされていません(というか、タイトルジャケットにも雪村の名前は一切出てこないといった、やや不思議な扱いです)。

大洋図書からの作品と違い、雪村は最初から最後まで、画面に登場します。後輩縄師として先輩濡木の緊縛を鑑賞するといった感じで、濡木に質問をしたりします。

濡木は雪村を「監督さん」や「雪村センセイ」と呼んでおり、対等の緊縛師としては見ていないのが伺い知れます。

このシネマジック作品中での、この二人のかけあい、なかなか奥深いものがあります。さらに、上記の「SMスピリッツ」の記事の中の対談と合わせて読むと、雪村春樹が晩年に確立した「雪村流」の中心となる考え方が、すでに濡木によって語られているのがとても興味深いです。

拾ってみますと。

 

濡木:想像でストーリーがつながるような作り方でないとダメだね」「観る側に想像の余地をね、空白の部分を残しといてあげる。

濡木も雪村も、須磨利之(美濃村晃)が好んだ、ロマン派の緊縛の継承者です。SMはあくまでもイメージの遊びとして捉えています。

雪村:美濃村さんの縄が少ない

濡木:もっと少ない方が好き」「SMセレクトの編集者がやたらかけろけろといってね

濡木も雪村も、その晩期には極端に縄が少なくなっているのが興味深いです。イメージを膨らませるのには、達人にとっては、縄一本で十分なのでしょう。

 

雪村:先生の縄、ルーズやからええなあ」「ゆるむという事と違いますよ

濡木:ルーズというのはね、ゆとりがあるって事ですよ。つまり、女の子が動けるだけのゆとりがあるって事」「心を縛っているんですよ。心を縛る縛り方があるんですよ

「ゆとり」「あそび」「ゆるさ」というのは、雪村流緊縛のエッセンスの1つとなっていくわけですが、雪村春樹が誘導質問しているとはいえ、濡木痴夢男がすでに1993年の時点でこれを明確に述べていたのには、改めて濡木痴夢男の偉大さを感じます。

 

さて、雪村春樹と濡木痴夢男の関係は、微妙ではあるが、何年か続いていたようです。微妙な部分は例えば、『SM美容術入門51 - 雪村春樹(2)』でも紹介した、小出英一の雪村春樹への追悼文に

「(雪村が始めた緊縛ライブの)第1回の時(1994年)には僕(小出)が懇意にしてもらっていた濡木痴夢男先生に来ていただいて。」

「天津さん(=雪村)、濡木さんにもの凄い怒られたんですよ。」「アメリカン・ボンデージ調の縛りだから」

「お客さんの前でもの凄く馬鹿にされて、悔しかったんでしょうね。」

などとあります。まあ、追いかけた目標が大きかったことも、雪村の急成長を支えたのでしょう。

 これに関して、関係するのかどうか分かりませんが、上の『濡木痴夢男 新・縄の世界 縄酔い巨乳娘 河合春菜』の作品を観ていてヒヤヒヤさせるのが、雪村が途中、濡木のモデルにいろいろちょっかいを出すのですが、いくつかの場面で、明らかにモデルの心が雪村の方に行ってしまっていることです。

これが、翌年の雪村のライブでの濡木の怒りにつながったのかもしれないのですが、これで二人の間が訣別したのかというと、そうでもないらしく、1996年5月には、大洋図書から「縄恋秘抄 弐』が発表されています。こちらはジャケットにも「濡木痴夢男 X 雪村春樹」と雪村の名前も出て来ています。

 

さらに2001年1月には、「別冊緊美研通信」という大洋図書から出た濡木の緊美研を紹介する雑誌の制作を雪村春樹が手伝っているようです。ここでは濡木痴夢男の緊縛を、雪村春樹の実子で写真家でもある日暮圭介が撮影している珍しい作品を見ることができます(S&Mスナイパー2001年4月号にもこの写真が使われている)。

日暮圭介のこの頃の写真は、雪村春樹の写真と似ているので、例えば下の写真を見せて、「誰が緊縛師でしょう?」と質問すると、雪村春樹と答える人もいるかもしれません。

S&Mスナイパー2001年4月号に掲載されている濡木痴夢男緊縛、日暮圭介の作品。

 

雪村春樹の縛りが濡木痴夢男に似ているなら、わざわざ三大緊縛師に入れる必要ないんじゃない!

違うんです、

雪村春樹がすごかったのは、上にも出てきた「ルーズ」を極めたところです。

「縄のあそび」を極めた、雪村流の緊縛がどのようなものか?

続きを楽しみにしてください。

 

 

雪村春樹の実子で、写真家の日暮圭介が語る父、雪村春樹。

  

SM美容術入門』の「三大縄神様シリーズ」

 

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連載『SM美容術入門』