よござんすね。勝負!
1992年には自身のAV製作会社を設立し、自分が撮りたい作品を自由に作れるようになったAV監督の雪村春樹。
そこでは、「監督」「緊縛師」「男優」の分業体制をやめ、
監督である雪村春樹自らが、女優を縛り、交わっていきます。
シナリオ重視の作品ではなく、即興性を重視した緊縛作品の製作を進めます。
受け手にしかけ、それに対する受け手の反応を受け取り、その反応にあった次のアクションを返す、といった円環的な相互コミュニケーションからイメージ空間を膨らませていきます。
この雪村春樹の「円環的コミュニケーション」を重視した緊縛プレイは、1994年から始めた、雪村春樹のライブパフォーマンスで、いっそうの磨きがかかっていきます。
雪村春樹のライブとしては晩期のステージを収めた『LiVE 舌嬲り -shitanaburi-』(スマイリー、2009)
最終的に形の定まった雪村春樹のライブパフォーマンスでは、ほぼ初対面のモデルと、事前打ち合わせもなく、時間無制限でプレイがおこなわれます。
そこで観客に見せられるものは、雪村春樹の見事な緊縛ではありません。モデルのキレイなオッパイでもありません。雪村春樹とモデルとの「その場」での縄をつかった、緊迫した、そしてエロチックなやりとりが披露されます。
したがって、そこで必要とされる縄の技術も、それに合わせた独特の進化を遂げます。
2000年前後に見られた、凝った雪村の緊縛は次第に見られなくなり、吊りもほとんど使わなくなります。
刻々変化していく縄の展開に合わせて、縛りは必要最低限のものへと、余分なものは捨て去られていきました。
雪村春樹は、緊縛プレイのことを、しばしば「勝負」「格闘技」「恋愛劇」に比喩することがありました。
これらの表現は、実は「緊縛プレイ」の「プレイ」という言葉の中に含まれています。
「プレイ」という言葉は不思議な言葉で、日本語訳を考えると分かるように、「あそぶ」「芝居する」「演奏する」「試合する」などいろいろな場面で使われます。
SM美容術入門の初期に書いた『SM美容術入門2-セッションを楽しむ』には、
(ジャスのセッションにおいては)主体は「プレイヤー」ってとこがミソなんです。つまり、聴衆のために音楽家が演奏するという、一方通行的な行為よりは、演奏者間の相互作用に重きを置いた表現なのです・・・
SMプレイってのは、責め手と受け手のインタープレイがあって始めて面白くなるものなのです。
受け手が発信するメッセージを、高感度に,しかも正確に受け取り、そして、それに対して適切なリアクションを返していくことなのです。そのリアクションに対して、受け手の女性が新たな反応をしてくださるわけですから、それをまた受け取って返す・・・といった、「仕掛けて、受ける」といったやりとりが大切なのです。
しばしばSMプレイってのは、責め手が一方的にあれこれしかけて、受け手がありがたくそれを頂戴する、って一方的なプレイだと勘違いしている人がいますので、あえてくどくど説明しているのです。
SM美容やSMプレイの全体のコントロールは、やや「責め手」の方が主導権を握って進めていきますが、プレイ全体がどのように進むのか、どう深まっていくのかは、あくまで「責め手」と「受け手」の相互作用の中から生み出されていきます。
と、音楽演奏での円環的な相互コミュニケーションと緊縛プレイでの円環的な相互コミュニケーションの共通性が述べられています。
音楽のみならず、格闘技をやっている人、ダンスをやっている人、芝居をやっている人などなど、すなわちあらゆる「楽しいこと」をやっている人は、この「相手とのかけひき」の面白さというのをよく理解できるものと思います。そもそもセックスそのものの面白さも、「しかける」「相手の反応を受け止める」「それに合わせた次のしかけを返す」というところにありますものね。
「あそび」はおそらく、生物にとって根源的な活動でしょう。ペットを飼っている人ならよくご存知でしょうが、猫でも犬でもウサギでも「あそび」を楽しみます。
一匹で遊ぶこともあるでしょうが、相手がいるとあそびは盛りあがります。時には、けんかのように、何かの勝負に興じているようでしょう。
食べる、寝る、セックスする、の次に来る根源的な生命活動は「あそぶ」です。
演奏したり、試合したり、踊ったりのあそび、特に複数の人と相互作用しながらのあそびは、心とからだをいきいきとさせます。
緊縛プレイをすると、心身共にすっきりしてしまうのも、この「あそび」といった根源的な生命活動をおこなっているからです。
「あそび」においては、スポーツがそうであるように、「勝負」の要素が入ると、がぜん盛りあがります。
ジャズのアドリブの掛け合いなども、まさに勝負そのものです。
緊縛プレイにおいても、縛り手と受け手の間の掛け合いが、勝負のような緊張感をもたらし、これが雪村春樹のいう「緊縛セッションの勝負」となります。
「SMではSがいつも勝つんでしょ」
と思われるかも知れませんが、そういった表層的なことを言っているわけではありません。
縛り手と受け手との駆け引きの面白さ、重要さを言い表します。
もしあなたが「M女さんは、ありがたく俺の縄を受けていればいいの」なんて思っているとしたら、それは大変な間違い。
女の人は凄いのです(男の受け手さんも、もちろんそうですが)。
「一回目で向こう(M女)はこちらの容量がわかる。受け手の方がわかる。」
とは、雪村春樹の言葉の1つです。乱田舞も同じようなことを言っていたように思います。
この「緊縛プレイでの勝負」の緊張感や楽しみは、やった人でしか分からないところがあります。
お互いのかけひきを重要視する雪村流の緊縛セションでは、この「勝負」の側面が、よりきわだってきます。
受け手に送ったアクションに対して、強烈なリアクションが受け手から帰ってきます。
それを受け止めるだけの力量が、縛り手に求められるわけです。
雪村春樹のセッションの中でも、この「勝負」の様子がよく分かる作品を紹介しておきましょう。
雪村春樹は膨大な数のAV作品を残しており、あるものは頼まれ監督の作品であったり、あるものは、緊縛写真集の製作ドキュメントのようなものであったりと、全ての作品で、「勝負」をおこなっている分けではありません。
時期的には、2000年代の初めに作られた作品に、学ぶべきことが多い名作が多くあります。ほんの少しだけですが、ご紹介しましょう。
『緊縛歳時記 夏 猿轡・悶える尻のネグリジェ すみれ』(2005, スマイリー )
雪村春樹は2004年ぐらいから、関西の明和プランニングという会社をバックに、多くの名作を出しています。企画・制作は雪村春樹の会社であるサンセットカラーがクレジットされていますので、明和プランニングとのコンビは、自分のやりたい作品を作らせてもらえたのではないかと想像します。
その頃の作品で、2005年に発売されたこの作品は見応えのある作品です。特に、最初の後手縛りから寝かせるまでのシーンの緊張感は、たまらないものがあります。
最近、雪村春樹がこの撮影に関する後記みたいのものを残しているのを見つけ(S&Mスナイパー誌。実際に書いているのはスタッフの小夜伽なので、小夜伽の撮影後記、という感じですが)、雪村春樹自身も思い出深い作品と言っていることから、サロンさんの眼も、なかなかのものだな、と悦に入ることができました。
雪村の後記によると、この撮影はS&Mスナイパー誌の編集長から依頼され、断りそびれて、気乗りしないまま地方に出向いて撮影がおこなわれたものです。そういった意味では、「好きなように撮る」作品とは、ややはずれる作品ですが、そこはお許しください。
モデルのすみれとは、この時が初対面。いつもなら緊縛の前の雑談で相手の嗜好などを聞き出すのですが、この日はスナイパーの編集長がその時間を与えてくれず、「じゃ、ここで縛り、はじめてください」といきなり始まった緊縛セッション。ますます調子が狂います。
「ほな縛ろか、とすみれの後ろにまわって一本目の縄をかけたところでドン!」
「衝撃いうか抵抗を感じて、あっという聞に彼女の世界にひきずりこまれてしまった。」
「これは気合い入れんと縄が負けてまう。スゴい女や・.。」
「女に引きずられるように、テンションがあがってきてしまう。 縛れば縛るほど、もっともっと責めたいと思わされる。」
とあります。
そう。M女さんのエネルギーは、恐ろしいモノがあるのです。
『欲望の交差点』(2004,サンセットカラー)
同時期の作品で、猿轡・首縄の使いが絶妙でお気に入りの作品。こちらご、最近雪村の後記を見つけたのですが、その内容が少し意外で面白いのです。
後記によると、モデルの藤沢翔子は、緊縛のモデルで参加したのにもかかわらず(おそらく雪村春樹とは初対面)、最初から頑なに緊縛を拒否。
撮影現場を凍りつかせるようなオーラを発散していたそうです。
「縄使わんでもSMはできるんや」
と、雪村はいきないフェラチオでセッションを開始。受け手のM心を誘導していきます。
長時間のフェラチオの後に、
「(モデルが)肩でほぅっと息をつく瞬間があった」
「それを待っていたかのように、襦袢の腰紐で猿轡」
「意表を突かれた翔子、なんともいえず哀しいさびしい表情だ」
「その、翔子の放置された顔の哀しいこと。うちひしがれたような。でも、これ以上、いい女って見たことない」
スタッフの小夜伽を通しての二人の心の動きが記されています。
「緊縛は恋愛劇や」と語る雪村。短時間の間に、大きな心のドラマを作り、作品に深さを与えていきます。
『乱れる髪のエロ痴感 ~髪縄責め~ 紫月いろは』(2013、赤ほたるいか)
雪村春樹は肺がんで2016年に亡くなるのですが、肺がんが見つかる少し前の作品。モデルは奈加あきらのモデルなどでもよく知られる紫月いろは。極めて強いエネルギーをもつ、一流受け手の一人です。
60才代の後半にさしかかり、体力的には明らかにピークを越えた雪村春樹ですが、ガチで戦い挑む紫月いろはと、素晴らしいセッションをくりひろげる、名作のひとつです。髪責めの教科書としてとお勧めです。
最初の二作は古い作品なので、なかなか目にする機会もありませんが、こちらは、まだDVDなども手に入るかもしれません。
面白いのが、この作品に対するFANZAの視聴者の評価。★1つです。
「表紙からも解るとおり、緩いです。黒髪の印象的な女優さんで、しかも相当なM女であるにもかかわらず、全く活かせていない。」
「全然いた気持ち良さそうじゃない。もちろんイカせてない。」
「「髪責め」といえる部類ではない。髪責めとしては、単に髪を解き、掴み、縄を絡ませるだけ。」
「コンセプトは貴重なだけに残念です。」
そう。ご指摘の通り、雪村春樹の縄は「ゆる縄」です。
「俺の縄はゆるいねん。ゆる縄や。ただそのゆるさの中で女は芝居すんねん。」
「『縄のあそび』いうてんやけどな。自動車のハンドルにも『あそび』ってあるやろ。あれと一緒や。ガチガチに縛ってもうたら、気持ちよう芝居でけへん。」
ここでも「あそび=プレイ=芝居」がからんできますね。「あそび」は多義的に重要なのです。
この★ひとつをつけた視聴者の方、いろはさんを、例えば達磨縛りに縛り上げ、高々と吊して、一本鞭で叩きまくり、二穴バイブで逝かせまくる、ってのを期待されていたのでしょうが、(それはそれで面白いのは同意しますが)、こういった雪村流の縄の楽しみ方があることに、まだ気づいておられないのが、残念です。
一連の雪村春樹の記事を読まれ、「なんだか凄いひとなんだな」とDVDを観たり、あるいは、雪村流を継承している緊縛師の方々のパフォーマンスを観て、「なんじゃこれ!?何してるか全然分からん!」と感じる方は多いのではないかと思います。
雪村春樹の緊縛の面白さが分からないと本物でない、なんて言うつもりは全くありませんが、CG駆使した大画面のスターウォーズも楽しめるし、能の役者の微かな体の動きに脳天に突き刺さるような衝撃を受けることができると、といった幅の広い感受性を育んでいる方が、人生楽しく過ごせるかと思います。
言葉で書くよりも、動画を観ていただいた方が良くわかるのですが、残念ながら雪村春樹の動画はネットにあまり転がっていません。
何回もつかい回して恐縮ですが、縛り手と受け手のこころの「劇=プレイ」が短い中に凝縮されている、次の動画を再度掲載させていただきます。
オーストラリアのプロのモデルのShin Kou Sabreさんの作品。カメラは彼女の彼氏が回しています。
通常の緊縛写真撮影が終わり、サブレさんが、世に名高い雪村の緊縛セッションを経験してみたい、と仕事とは別に急遽おこなわれたセッション。
最初は、「はいはい、それで」と余裕で受けている彼女の心が、次第に深い所に落とされ、雪村のコントロール下に入っていくのがよく分かる、教材としてうってつけの動画です。
さらに撮影後記のようなもので述べている彼女の「20年以上つきあっている私の彼が、(このセッションを)撮影していたのですが、後に、彼には決して魅せたことのない表情を私がしたことに嫉妬したと述べていました。」を読むと、雪村春樹の三大縄神様の一人としての凄さを再認識してしまいます。
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