『ポルチオ』という言葉が使われ出したのは、20世紀の終わり頃かなと思っていましたが、実は戦後まもなくから使われていたようです。さらに『ポルチオ性感』そのものの重要性はもっともっと昔からちゃんと認識されています。
以前のコラム『ポルチオの真実』では、「誰がいつ頃から『ポルチオ』という言葉を使い出したのでしょう」と問いました。その時簡単に調べた範囲では「少なくとも2000年まではさかのぼれる」ところまでは分かっていました。
なので、まあ20世紀の終わり頃に誰かが使い出したのかな、と思っていたのですが、そうでもないようです。もっと古くから使われていました。
もう一度復習しましょう。
「ポルチオ」は「PORTIO VAGINALIS UTERI(ポルチオ・ヴァギナリス・ユーテリ」から由来しています。英語では「VAGINAL PORTION OF CERVIX」。「子宮膣部」とも訳されることがあるようです。
「子宮で、膣の中に入っている部分」、すなわち、膣の奥に突出している子宮口のあたりを意味する医学用語から由来しています。簡単に言えば膣の一番深い奥です。
「PORTIO」あるいは「PORTION」は、ようするに「部」「部分」に相当しますので、ここだけを取り出してカタカナ外語にするのは変なんです。響きが良いからそうなったのだと思えます。例えば、「インフルエンザ」を「インフル」なんて日本では略しますが、これは海外では通用しません。略すなら「フル」なんですが、日本語の響きとしては「インフル」の方がいいですよね。
なので、医学専門家でない人が、響きで「ポルチオ」を使い出したんだろうな〜、なんて考えていたのですが、驚いたことに戦後の有名な性科学者「高橋鐵(てつ)」の著作の中に、「ポルチオ」が使われているのを見つけました。
「高橋鐵」なんて聞いたことある人、ほとんどいないと思います。別に覚えなくもいいです。明治生まれの大昔の人です。
いわゆる「性科学者」として有名な人で、戦後に高橋鐵の「あるす・あまとりあ」という本が大ブームとなりました。「あるす・あまとりあ」って、変わった題名ですが、「Ars amatoria」をひらがな表示したものです。ローマ時代の古詩のタイトルらしく、「The Art of Love」つまり「恋愛術」っていう意味なんです。
「あるす・あまとりあ」がブームとなった1950年頃ってのは、戦後まもない頃。戦争から解放され、徐々に生活も落ちつき、みんな励んでセックスしていた頃です。「セックス、気持ちい〜」「どうやったらもっと気持ち良くなれるんだろ」「オマンコの中はどうなってるんだろう」って感じで性に対する興味を自由に表現できる雰囲気になって来た時期だと思います。
といっても、今のようにアダルト写真や映画なんてとても作れるような時代ではありませんので、「お勉強」という形で「性に関する知識」を提供する書物や映画が流行った時期だそうです(生まれてないので、実感できませんよね)。
まあとにかく、この 「あるす・あまとりあ」、セックスの体位などを紹介した「ハウツー」ものなのですが、大変なビッグヒットとなったようで、高橋鐵は続いて月刊誌の「あまとりあ」を刊行し、他にもいろいろな雑誌の発行をおこないます。高橋鐵は大島渚の映画などにもちらって出てきますし、本の莫大な売上げのおかげで、「あまとりあ御殿」とも呼ばれる立派な家を建設して、性のカウンセリングなんかもやっていたようです。
話を戻しまして、この高橋鐵が書いた文には「ポルチオ」という言葉が既に使われています。
例えば、『あまとりあ』の昭和34年4月号に寄せた「危い――″生半可″性学」というエッセイでは
「精神分析学から云うと、毛や裂孔や陰核などは、仮に無くてもいいオマケなのです。それらは精々門や植込みや玄関の呼鈴のごときもので、絶対必要なのは玄関(腟口)から奥の居間までの腟壁やポルチオ=子宮なのです。」
高橋鐵はフロイドの精神分析学に傾倒していたようで、フロイトが「女性の性感はクリトリスから膣内に向かって発達する」といった内容のことを述べていることもあり、断然「中イキ」派だったようで、上のエッセイも、「クリ逝き」派の人が書いた記事に対する反論だったそうです。クリトリスを「無くてもいいオマケ」と言い切っているのが凄いですね。高橋鐵はまた
「強いポルチオ性感へ達している女性がいかに少ないかは驚くべきほどであろう」
とも嘆いています。
ここでは「ポルチオ=子宮」と言っていますが、より正確に「ポルチオ=子宮膣部」と言っている論評もあります。昭和28年(1953年)1月号の「あまとりあ」に寄せた「子宮への幻想〜無意識願望とポルチオ性感〜」という論評です。
ここでは人の性感の「子宮回帰」のようなものを説いています。フロイド、ユングなどを引用しながら、体の奥にある宮殿としての「子宮」を崇め、性交時における子宮の動きに関して医学的に分かっていることをいろいろ述べています。
おもしろいのは、日本人が、江戸時代に「中イキ」をどう思っていたかを議論していて、1834年、なので天保5年に書かれた西村定雅の「色道禁秘抄(しきどうきんぴしょう)」というエロ本(春画ですね)の中に
「男女消魂(=射精か?)に両極あり。子宮口にて悦ぶあり。挺孔の下水翼を悦ぶあり」
と書いてあるのを指摘しているんです。
ここで、「挺孔(ていこう)」ってのは、クリトリスの昔の表現。「下水翼(しもひだ)」てのは「小陰唇」のこと。
すごいですね。この西村定雅っていう人、ネットでは「江戸時代中期-後期の俳人、狂歌師、洒落本作者」とありますが、オルガズムの実現に「クリイキ」と「中イキ」があることを見抜いていたのですね。高橋鐵は、西村定雅が「挺孔(クリトリス)性感」と「子宮膣部(ポルチオ)性感」とに区別していると書いており、「ポルチオ=子宮膣部」として正確に記述しています。
いや〜驚き。戦後まもなくから『ポルチオ』って表現が使われていたのですね。さらに調べると、もっと歴史をさかのぼることができるのかもしれません。
もう1つ驚きなのが、江戸時代から、言葉はないにしても「ポルチオ性感」がちゃんと分かっていたらしきこと。高橋鐵も欧米の医学的な子宮性感に関する記述よりも、「色道禁秘抄」の方がポルチオ重視が早いではないかと驚いています。
しかしですね、この程度で驚いていてはいけないのです。中国では7−8世紀ころから、ちゃんと「ポルチオ性感」が重要な「房中術(=セックス技法)」として記載されているんですよね。「房中術」につていは、また日を改めてご紹介することにしましょう。
「世界しおふき物語」でも書きましたが、欧米のネットなどを見ても、「ポルチオ性感」よりは「Gスポット性感」で盛りあがっているんです。まだ入り口で騒いでいるような感じ。もっと奥に行かないとね。19-20世紀の禁欲的な文化の影響で、古代から蓄積していた「あるす・あまとりあ=The Art of Love」の智恵がかなり失われてしまったのではないかと思われます。
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『ジスイズ・オルガズム美容術』