SM美容術入門44 - 間を生かす

「ゼロ」からは全てのものが生まれてくることができます。

 

 

 

「間」「沈黙」「ゼロ」「無」についてのお話しです。

 

催眠術のトランス状態を深める技法に『沈黙法』というのがあります。 

かける方(術者)が黙って、何もしないという技法です。

何もしないのに催眠状態が深まるなんて、そんなことホントにあるのかと思われるかもしれませんが、意外と効果の高い技法です。

SM美容術入門28-縄空間の深層』『SM美容術入門29-集中で感覚鋭敏化』などで説明しましたように、人間の心が何かを感じようとするとき、イメージを構成するのに不足する情報は、どんどん過去の記憶や、推測・想像などで補ってしまう性質をもちます(人間だけでなくて、おそらく他の生物も)。

あなたの腕が暖かくな〜る。ほら暖か〜い」「体の力がす〜と抜けて、とてもきもちよ〜い

とかなんとか、さんざん声や触覚で、かかる方(被験者)に刺激を与え続けたあとで、

さあ、ここから、私はしばらく黙って見守ります。ここから、あなたは自分で、自分のふか〜い世界を楽しんださい

と。刺激を与えるのをストップします。

そうすると、かかる方(被験者)は、外からの刺激が急にすくなくなったので、それを補完するために、自分のもつ過去の記憶や想像力などを駆使しして、自分の好みのイメージの世界を作ってしまいます。つまり深いトランス状態に入っていく、という技法です。

 

 

くり返して述べているように、SMプレイは、プレイヤーが深いトランス状態で心をコネクトして、それで楽しむ遊び。

より大きなイメージ空間を共有できると、それだけ楽しみも大きくなります。

そして、この「イメージ空間を膨らます」というところでうまく「間(沈黙)を利用する」ことがポイントです。

といっても、ただ黙っていればよい、という簡単なものではないことはご想像の通り。

「責めては引く」「絞っては緩める」「喋っては沈黙する」「叩いては撫でる」「屈げては伸ばす」などの「緊張」と「弛緩」を繰り返しながら、うまくトランス状態を深めて行きます。

その「弛緩」のタイミングが、「間を取る」というアクションに相当するのでしょう。

 

「間を取る」「間を生かす」「間合いをはかる」ってのは、音楽、踊り、武術など、いろいろな分野での、学ぶのが難しい上級者コースの技となります。

 日本文化を含めた、非西欧文化では「間を生かす」ことが比較的重視されます。

ですので、西欧文化にどっぷり浸かった人よりは、日本的(非西欧的)な文化の中で育った人の方が、「間の生かし方」のマスターが早いかもしれません。

 

 

 

武満徹という作曲家が日本の芸術における「間」の重要性を繰り返し文章を通して説明していました(だいぶん前に亡くなってしまいましたが)。

例えば『樹の鏡、草原の鏡』から抜粋しますと。

西洋の音楽の場合は、Aという音とBという音を積み上げて、(中略)二つがぶつかりあることで表現行為が生まれて、それをどんどん積み上げて音楽的表現をしていくわけです。

西洋文化の構築美です。これはこれで素晴らしい芸術であることは、われわれが日々音楽を楽しんでいることからも明らか。

僕はある時、非常に偉い尺八の先生と一緒に、小さな料亭で食事をしました。

この「エラい先生」ってのは「海童道祖(わたつみ どうそ)」って人です。この方も随分前にお亡くなりなっている方です。

海童道祖はカリスマ性の高い尺八奏者(というか、求道者かな)で、そこらへんに生えている竹や、ほうきの竹のふしをくりぬき、無造作に穴をあけて、それで尺八を演奏してしまうという方です。

欧米にも信奉者が多かったようです(ジョンケージが憧れていたとか、タルコフスキーが映画の中で音楽に使ったとか)。

 

 

 

で、武満が小さな料亭で海童道祖と「すき焼き」を食べた時の話が上の逸話。

その部屋は道路に面していたそうで、横をトラックが凄い音を立てながらいききしていたそうです。

武満が一曲聴かせて下さい、と頼んだところ、トレードマークの、そこらへんの竹で作った長い尺八で、演奏をしてくれたそうです。ただし、すき焼きの残りがぐつぐつ音をたて、トラックが行き来するといった、非常に劣悪な状態での演奏です。

カリスマ先生曰く

終わりの方は実によく吹けたと思う。ところで、君にはこのスキヤキのぐつぐついう音がとてもよく聞こえただろう?

(武満)確かに、そう言われてみると、その音楽を聴いている時に、最初は全く気にしていなかったスキヤキの音が、だんだん耳に入ってきた。それから、外のいろいろな気配がとてもよく聞こえて、しかも同時に、全くそんなものに害われない尺八の音が聞こえたわけです。

「(武満)とてもよくスキヤキの音が聞こえました

それは大変いい演奏ができた証拠だ。なぜなら私の音楽はそのスキヤキの音なのです

 

「私の音楽はそのスキヤキの音」というのは、禅問答的な言い方ですが、ようするに海童は尺八の音を積み重ねて音楽を作ろうとしていたわけでなく、尺八の音を利用しながら、武満と海童と、その時彼らを取り巻く全ての音をひっくるめたイメージ空間を共有させ、それで音楽(と呼ぶべきかどうかは分かりませんが)を作っていたわけです。

邦楽にせよ、能にせよ、日本画にしても、このように、空間全体を取り込んでアートにしてしまうのが日本文化の特徴(日本独自のものでもないでしょうから、非西欧文化のいくつかのものの特徴)。これが、西欧文化より優れているとも劣っているとも言うつもありはありませんが、戦略的に全くことなるとこは確かでしょう。

で、このような「日本的(非西欧的)」なアートで重要なのが「間」となります。

(西欧音楽でも間の取り方は重要ですので、重なる部分もありますが、細かいことはおいておきましょう)。

尺八の演奏も、日本画も、芝居もやたらと「間」「沈黙」「ゼロ」「無」の部分が多いのが日本文化の特徴。

演者、鑑賞者が共にトランス空間に入っていく、ある種の『沈黙法』なのですね。

 

日本式緊縛の不思議な魅力に憧れて、来日してプロの緊縛師に学ぶ欧米の緊縛師が、もっとも学ぶのが難しいのであろうが、この「間を生かす」技法。

「間を生かす」ことで、受け手のイメージを大きく膨らませ、深いところで受け手と責め手がコネクトすることができるのです。

縄の結び方や、縄筋の構造からは学び取れません。

その時、その場、その人により間の取り方は異なってきます。

定式化できないところ。言葉で伝えられないところが、学びづらいところ。

奈加あきら、神凪など現役バリバリの繩師も、長い時間をかけて、濡木痴夢男や明智伝鬼の縄から、彼らの間の取り方を体得しています(「技を盗む」という表現をしています)。

三大縄神様の残した動画などをじっくり観察しながら、「間の取り方」を盗むしかないです。

 

以前にもお見せした、オーストラリアの受け手、Shin Kou Sabreさんの、雪村春樹へのオマージュ作品

雪村春樹の「間の生かし方」が非常によく分かる優れた教材です。

もともと写真撮影が終わったあとに、おまけ的に撮影した動画。

雪村春樹にとっては、仕事を意識せずに、思う存分「縄遊び」に専念できたセッション。

ガチでShin Kou Sabreさんの心とコネクトしようとしています。

前半では、モデルとしてカメラに向かって自己表現している彼女が、途中から、完全に雪村春樹に落とされているのが分かります。

 

この時の思い出を、 Shin Kou SabreさんがFetLifeに書いていますが、

 My partner who has known me for over 20 years admitted later he was feeling jealous that while watching and filming, he could see expressions that I made that he had never seen before.

(20年以上つきあっている私の彼が、(このセッションを)撮影していたのですが、後に、彼には決して魅せたことのない表情を私がしたことに嫉妬したと述べていました。

 

縄はトランスを深めるツールの1つでしかないと考えてもよいでしょう。

 

【Take-home message-70】「間を生かす」ことで臨場空間を広げていきます。

   

武満徹の「ノーベンバーステップス」。オーケストラ(武満の表層意識)が尺八・琵琶(武満の深層)と出会った際の驚き、喜び、畏敬を表現した名作。尺八を演奏する横山勝也は海童道祖の弟子。

 

 

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連載『SM美容術入門』