さて、『メスマー美容術入門02-広がる怪世界』では「いよいよフロイトクーエなどが登場する19世紀から20世紀に移り変わる時期のメスメリズムの展開を見てみましょう。」なんて予告したんですけど、ちょっとその前に、もう一人紹介させてください。

メスマー美容術入門01-元祖怪しい人』ではメスマーという怪しいおっさんが、「動物磁気」なる怪しい力で、「なんでも病気を治します〜」とフランスでブレイクし、やがて「やっぱりニセモン」と追い出されたお話しをしました。18世紀のことです。今から考えると催眠療法やっていたわけです。「やっぱし怪しいじゃん」と思われかもしれませんが、19世紀の終わりから、20世紀の初め頃は、「心理療法」=「催眠療法」で、催眠術の黄金期だったんです。

 『メスマー美容術入門02-広がる怪世界』では、19世紀の後半にイギリスやフランスでメスマーの再発見といった感じで、治療としての催眠術に学問的な注目が集まり始めたことを紹介しました。

メスマーがルイ16世の命を受けた調査委員会で「アウト」とダメ出しされたのが1784年頃でしたので、そのあと半世紀ぐらい、細々とメスメリズムを伝えていた人々がいたんです。いろいろメスマー支持者には面白い人がいるのですが、今回ご紹介するのは、アベ・ファリアと言う人。

 

アベ・ファリアの数少ないポートレートだそうです。

この人、ウィキペディアとかには「インドで活動したポルトガル人司祭」とか紹介されています。あるいはネットの書き込みには「自称、インドから来たバラモン」なんてのもあります。「バラモン」って何かといいますと、「バラモン教」の僧侶。「バラモン教」ってのは、古代インド宗教で、仏教なんかよりずっと古いんです。お釈迦さんは、バラモン教の難行苦行や呪文みたいなものの否定から仏教を作ったわけですが、お釈迦さんの死後、仏教は再びどんどんバラモン教の要素を取り入れてしまうんです。なので、われわれが知っている仏教のしきたりとか、ナンじゃら神とかの多くがバラモン教由来です。

まあそれはさておき「インドから来たバラモン」というのは、「インド大魔法団」みたいな雰囲気で、いかにも怪しい。呪文を唱えて不思議な現象を引き起こす超能力者の雰囲気。しかも、それが「ポルトガルの司祭」なの?

この時代、正確な記録がないので、どこまで本当で、どこから作り話か分からないのですが、アベ・ファリアの生涯は、だいたい以下のような感じらしいです。

 アベ・ファリアは、1756年(日本は江戸時代の宝暦6年)生まれですから、メスマーより22歳若いことになります。

生まれたのがゴア。場所分かります?インドの西側の海沿いに位置する小さな州です。

サイケ・シティー「ゴア」。

インドってイギリス領だったというイメージが強いのですが、ゴアは、16世紀からポルトガル領。他にもフランス領インド、オランダ領インド、ドイツ領インドと、まあ当時は西側がよってたかって世界中を植民地化していたわけです。

その中でも、当時のゴアはローマ教会のアジア展開戦略の本拠地みたいな感じだったらしく、立派な教会が建ち並び、「東洋のローマ」とも呼ばれたりして、17世紀は黄金時代だったそうですよ。アベ・ファリアが生まれた18世紀は、もうポルトガルそのものの力が衰えていたのですが、ゴアを奪おうとするオランダなどの攻撃を上手くかわして、ポルトガル領を維持していたようです。

現在は、インドの中でもリゾート地として栄える裕福な街らしく、まだポルトガル語を喋る市民も多くいるんですって。

バラモン教、イスラム教、キリスト教といった異文化が共存する国際都市なんですよね。20世紀の終わりには、サイケデリック文化の発信地としても注目を集めたこともあり、「ゴアトランス」っていう音楽ジャンルも生まれたりもしました。ヨガのスタジオなんかもたくさんあり、太古から現在にいたるまでパワースポットとして存在感を示してる街で、メスメリズムの文脈で言えば、怪しい都市なんです。

で、その怪しい都市に生まれたアベ・ファリア。ポルトガルの植民地だったので、ポルトガル人なのでしょうが、エスニカルには、いわゆるインド系の人。インドもいろんな部族があるのでややこしいですが、とりあえずインド系ということでご了解を。

アベ・ファリアのお父さんの祖先が、バラモン教の人だったそうなので、生活にはバラモン教的なしきたりが残っていたのかもしれません。ですが、お父さん自身はカトリック教徒。その関係もあってか、アベ・ファリアが15歳になった時に、お父さんとアベ・ファリアはイタリアに移ります。勉強のためだったようで、アベ・ファリアは1780年に神学の博士号を取得します。

アベ・ファリアが神学博士になった後に、親子(母親とは離婚していたみたいですよ。カトリック教徒なのにね)は、ポルトガルに移りアベ・ファリアは、カトリックの聖職者となります。そして、1788年にパリに移住。

1788年というと、メスマーが丁度パリから追い出された直後。アベ・ファリアがどうやってメスメリズムを知ったのか興味があります。メスマーの熱心な弟子で、貴族でもあったピュイゼギュール侯爵(Marquis de Puysegur)とのつながりは確かにあったみたいです。

パリでのアベ・ファリアは、フランスの独立運動の政治運動もしていたようで、その関係でバスティーユ牢獄にしばらく収監されていたとか。で、この時、看守と時間つぶしのゲームをするために、チェッカーゲームを発明したと言われています。この時期、バスティーユ牢獄には、マルキ・ド・サドも収監されていたのですが、この二人は出会ったのでしょうかね?

催眠術の怪人はチェカーゲームの発明者でもあります。

バスティーユ牢獄は数ヶ月で解放されたようですが、その後パリからマルセイユに移住。大学か高校かの先生になったと言われています。ここでも政治活動がらみで逮捕され、1797年にマルセイユ沖の「シャトー・ディフ」という有名な離れ小島の牢獄に再び収監。ここは、アレクサンドル・デュマ作『巌窟王(モンテ・クリスト伯爵)』の舞台となったところで、この小説の中には、主要キャラクターとしてイタリア人神父アベ・ファリアが登場するのですが、これは アベ・ファリアがモデルのようです。

で、この 「シャトー・ディフ」に17年間も監禁されていたのですが、ようやく解放。もう50代後半です。

長い牢獄生活で一皮むけたアベ・ファリア。パリに戻り、1819年に生涯を閉じるまでの数年間、メスメリストとしてブレークします。死の直前には、『夢遊病の原因、あるいは人間の本性についての研究』と題した本を出発し、前述のピュイゼギュール侯爵に捧げています。

アベ・ファリアは、彼の育ったゴアの文化の中で、多くの修行者(いわゆるヨガ系の修業をしている人だと思います)がメスメリズムと同じようなことをしていることを知っていました。そして、相手を「凝視することで」相手は、夢遊病状態になることを述べ、 しかしながら、メスメリズムの本質は、凝視することではなく「暗示」であることを述べています。

 お分かりでしょう?『メスマー美容術入門02-広がる怪世界』で紹介した、イギリスのジェー ムズ・ブレイド(James Braid, 1795-1860)が『凝視(トランス誘導)』の重要性を説いて「催眠=hypnotism」という言葉を作ったのが、19世紀の中頃。いや、『凝視』ではなく、「暗示が重要」とフランスのアンブロワーズ=オーギュスト・リエボー(Ambroise-Auguste Liébault, 1823-1904)とイポリート・ベルネーム(Hippolyte Bernheim, 1840-1919)が騒ぎ出したのが、19世紀後半。アベ・ファリアは、彼らよりもずっと前に、トランス誘導と暗示の重要性を指摘していたのです。

サロンさんとしては、「怪しい人No.2」の称号を、敬意をもってアベ・ファリアに捧げたいと思います。

 

 

ゴアにあるアベ・ファリバの塑像。催眠術をかけているところです。

 

メスマーの動物磁気説はインド文化の影響を受けて次のステップを踏み出します。

 

こういうのを「ゴアトランス」というらしいけど、ちとチープね。

 

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連載『メスマー美容術入門』