車椅子に乗り、手足もほとんど動かせず、唇がうまく動かないので何を言っているのかもよく分からない。しかも色弱で紫色しかわからない。現代的催眠誘導法の世界を開いたエリクソンの登場です。
お医者さんは、患者さんの苦しみを取り除くためには、あらゆる試みをおこないます。
あれこれ理論的には考えているのでしょうが、結果的に怪しいものもたくさん。
でも、それでも効いているような感じもするので、難しいところです。
メスマーが活躍していた頃なんて、治療法が分からない病気は、とりあえず「瀉血(しゃけつ)」ということで、患者の血を抜いていたようです。
瀉血療法するシーボルトらしいです
メスマーの伝記映画とか見ると、ヒステリー症状の美しい女性の発作を「瀉血」で治療しようとする当時の「普通の」医者をメスマー大先生が一喝し、「私が彼女を治す」と手を振りかざしたり、腕をさすったりして、発作を抑えます。怪しいモノ対決なのですが、でも、ちゃんとどちらも治療効果は出ていたのでしょう。
18世紀、19世紀には、ヒステリーの治療のために、お医者さんはいろいろ知恵を絞ったことは『女性用性感治療院』で紹介した通りです。
「手マン治療」「ヴァイブ療法」「シャワーマンコ療法」などなど、現在われわれが楽しんでいるモロモロのエッチ技術も、ヒステリー治療に使われていました。
こんなことを紹介すると、最近とみに増えていた全国の性感マッサージ師が、「私の性感マッサージは神経疾患への治療効果が科学的に証明されています!」なんて喜んじゃうかもしれませんが、「治療」とか言っちゃうと、医師法とかに抵触して、逮捕されちゃいますからね。
で、ようするに、お医者さん達が、もろもろ怪しい(でも、効果はあったんでしょうけど)ヒステリー療法を考案していたのですが、フロイトの精神分析もそういったも流れの中で考案されたものです。
フロイトが偉いのは、ヒステリーの原因として、意識化されていない、無意識の中の過去の(主につらい「性」)体験がエネルギー源となって、いろいろと身体によろしくない症状を起こすと考え、その忘れている事実を意識化することで、次第に症状が治るとしたこと(正確ではないですが、だいたいこんな感じ)です。
このエネルギー、フロイトは「リビドー」とか言ってたんです。「リビドー」は結構評判いいのに、同じようなメスマーの「動物磁気」は「インチキ説」の代表みたいにになってます。どちらも同程度に怪しいんですけど。
フロイトは、当初「無意識の中の過去の(主につらい性)体験」を「意識化する」過程で、催眠術を使っていました。別に、催眠術で、直接治していた訳ではないですよ。
でもやがて、「催眠術はかかりにくい患者がいる」「リラックスしてお話しさせるだけで、同等の効果がある」ということで催眠術を放棄します。
これは正しい判断だと思います。同じ効果があるなら、より普遍性の高い方法を採るのが普通の選択です。
フロイトには、アドラーやユングといった優れた弟子がいて、今に続く臨床精神療法、臨床心理療法が、19世紀の終わりから20世紀前半にかけて、どんどん発展していきます。アドラーも、ユングも催眠術は(初期には使っていた時期もあるでしょうが)採用していません。サロンさんは、ユングの流れの河合隼雄とか好きで、いろいろ読んでましたが、河合隼雄も催眠術は使っていません。
フロイト、ユング、アドラーとかはヨーロッパの人ですが、アメリカでもロジャーズとか、優れた臨床心理療法家が現れます。こちらもやはり催眠術は、療法には使ってないと思います。
今でも、催眠術を学問として研究するちゃんとした大学の研究室や学会は複数存在しますし、また、催眠術を用いた療法を受けられる病院も、捜せばあると思います。ただし、極めて珍しいです。メスマーに始まり、シャルコーやリエボーにより盛りあがった医学治療法としての催眠術は、20世紀に入り廃れてしまいました(ショーとしての催眠や、非医学治療的な催眠は、また別の話ですよ)。
ところがですね、一人だけ、この流れに関係なく、輝くカリスマ催眠術師が20世紀のアメリカに登場するんです。
その名はミルトン・エリクソン(Milton H. Erickson, 1901-1980)。
心理学分野では2人の有名なエリクソンがいるのですが、一人が「アイデンティティー」の概念を提唱したエリク・ホーンブルガー・エリクソン(1902-1994)で、こちらはユダヤ系デンマーク人で、ナチス時代にアメリカに亡命しています。 フロイトの娘のアンナ・フロイトに師事していたこともある、フロイトの流れをくむエライ人です。
ここで紹介するのは、このエリク・エリクソンとほぼ同時代を生きたミルトン・エリクソン。1901年にアメリカ西部のネバダ州に生まれた米国人です。
ユング、ロジャーズ、エリクソンと、こころの研究で大きな仕事をしている人達は、カリスマ性が強いのか、とかく神格化され、多くの伝説を残しています。取り巻き達が誇張した創られた伝説の部分のあるかもしれませんが、エリクソンの生涯を駆け足で紹介してみましょう。
20世紀の始まりと共に生まれたエリクソン。4才になるまで何も喋らなかったそうで、親を心配させたそうです。この逸話、水木しげるの場合も同じで、水木も4才の頃まで喋りませんでした。内面の世界を旅していたのでしょう。
催眠術を初めて知ったのが、12才の頃。友達がもってきた催眠術講座か何かのパンフで知ったらしいです。既に19世紀の終わり頃から、一般人を対象とした「君にもできる、催眠術通信教育」みたいなのが流行っていたようです。『メスマー美容術入門04-催眠術全盛期』で紹介したクーエなんかも、なんと、最初はアメリカの催眠術通信講座で勉強したということらしいですから。
高校を卒業した17才の頃、エリクソンはポリオ(小児麻痺)に罹ります。ウイルスで神経がダメージを受け、体が動かなくなる大変な病気です。医者からは「明日の朝までもたないでしょう」と宣告される危篤状態になるのですが、3日間の昏睡状態を乗り越え一命をとりとめます。ただし、体は完全に動かなくなり、皮膚の感覚もなく、言葉も喋れない状態。体と心が分離された状態なのだったのでしょうね。エリクソンは、この時期、どうすれば自分の脚がどこにあり、それが自分のものであると分かるようになるのか、ということを考えるというか、一人で黙々と探っていったそうです。
次第にリハビリは効果をあげ、ウィスコンシン大学マディソン校に入学します。
大学1年生の時には、2ドル32セントだけをポケットに入れ、5メートルのカヌーに乗り、3か月にわたり、全長1,900キロメートルにおよぶ川の旅をおこなっています(これって、ほんとなのかな?1,900キロメートルって、ほぼ札幌から福岡までなんですけど!)。
大学の2年生の時、著名な心理学者であるクラーク・L・ハル(1884-1952)の授業を受けます。心理学を定量的な学問にしようとしたエライ先生です。同じく米国人のジョン・ワトソンとこのハルにより行動主義心理学という一時代を作るのですが、まあ今から見ると、退屈な心理学です。
でもハルは催眠術の研究でも業績を残しています。「催眠状態は眠っている状態ではなく、むしろ逆に意識が覚醒した状態である」という大切な指摘をしています。
催眠状態は覚醒状態と指摘したハル大先生。
AVなんかで「催眠覚醒セックス何チャラ」ってタイトルとかよくあります。「催眠術で眠らされてるのに、何で覚醒やねん」と思われるかもしれませんが、催眠状態は見た目は眠っている状態ですが、意識は逆に覚醒して集中力が増していると指摘したのが、ハル先生です。
エリクソンは、このハル先生の催眠術にいたく感動したようで、2年弱で数百人の学生に催眠実験をおこない、その結果(何を調べたのかは知りませんが)をゼミで報告していたそうです。
エリクソンは医学部に進むのですが、ウィスコンシン大学にはハルがいたためか、医学部内で催眠術を使える環境だったようです。だからといって、この時代、まだ催眠術が治療法として普通に受け入れられていたのかというと、そうでもなさそうです。
1928年にエリクソンはウイスコンシン大学を心理学修士と医学博士を習得して卒業し、コロラド精神医学病院でインターン(医者見習いみたいなの)をやりますが、ここではとても催眠術を使える雰囲気ではとてもなかったそうです。というか「使うな」と言われていたようです。
やがてまもなく、エリクソンは精神医学のメッカともいえるウースター州立病院の医員となります。臨床よりは研究寄りの教室に入ったためか、ここでは何でもあり。なので、催眠の研究が思う存分できます。
1934年、なので大正13年にはウェイン郡立総合病院というところの精神医学研究・教育部門の引き抜きされ、助教から准教へとトントン拍子に出世します。エリクソン30代です。さらにウェイン大学の教授、ミシガン大学医学部の教授と、アカデミックには最盛期を迎えます。
青年時代にかかったポリオを乗り越えたエリクソンですが、40代に入り、再び健康面での問題がでてきます。1947年にはきついアレルギー症状に苦しみだし、気候を変えるのがよいかも、とうことでミシガンからアリゾナに移ります。ミシガンでの教授職を捨てて移ったぐらいですから、かなり肉体的にキツかったのでしょうね。
アリゾナ州立病院に少しいたようですが、やがて1949年、エリクソン47才の時に自分の診療所をアリゾナに開き、この診療所にエリクソンの教えを受けたいという生徒が全世界から続々と集まることになります。
この開業の頃からポリオが再発。まずは右手が動かなくなります。 あと、動画でも分かるように、エリクソンは唇がうまく動かないので、非常にゆっくり、小さな声でしかしゃべれません。おそらく普通の人では声がでない状態なのでしょうが、エリクソンは工夫して発声する方法を編み出していたのでしょう。さらに、生まれつきなのかどうなのかよく知りませんが、いわゆる色盲(正確には色弱)で、紫色しか色が分からなかったそうです。
ゆっくりと肉体の機能をひとつひとつ奪われているエリクソン。それに逆比例して、その心理療法家としての技が研ぎ澄まされていきます。
エリクソンをめぐる神話、伝説はこの、アリゾナでの診療所で定期的に開いていたワークショップに参加していた人々によって作られていきます。
60代に入ったエリクソンは、車椅子の生活となり、ほとんど体は動かなくなっていきます。そのせいもあるのでしょうが、その催眠誘導法はますますシンプルに、効率化され、いわゆる「エリクソン催眠」というものになっていきます。1980年3月25日、78才で永眠するのですが、この頃には既に、エリクソンに影響を受けた新しい催眠に関した考え方が世の中に広まりつつあります。
さて、「エリクソンは60代に入りエリクソン催眠と呼ばれるスタイルを確立した」とまとめると、すっきりするところなのですが、実は「エリクソン催眠」って何?となると、みんな困っちゃうんですよね。
フロイドは、いわゆる自然科学の王道として、根本原理みたいな「1つの真理」を目指して精神分析を確立したんですが、エリクソンとかは逆です。ロジャーズなんかも逆です。多様性を重んじるというか、多様な人間のこころを単純なひとつの法則で対処できないことを知っていました。また、真理の発見よりも、クライエントの期待に応えることを重視する臨床指向の療法家でしたので、とにかく「使えるものは何でも使う」というスタイルです。
なので、エリクソンの催眠誘導の特徴は、とにかく手駒をたくさんもっていて、相手に合わせて何でも使うということ。それでいて、年を取るにつれて、それぞれのテクニックがシンプルに、鋭くなっていきます。
これじゃ、ますます怪しくなってるな、と思われるかもしれませんが、確かにそうかもしれません。でも、実は、怪しくないと信じているようなものが、実は一番怪しかったりするのかもですよ。
(参考文献)
ジェフリー・K. ゼイク『ミルトン・エリクソンの心理療法セミナー』
50代中頃の時のエリクソンによる催眠誘導デモ
「エリクソン催眠」としてしばしば紹介・伝授されている「ハンドシェイク・インダクション」法。握手の際、相手にちょっとした混乱を起こし、タイミング良く暗示をかける方法。
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