武満徹はいわゆる現代音楽の作曲家だったのですが、映画やTVドラマの音楽もたくさん作曲しており、その中には歌謡曲としてヒットした『燃える秋』なども入っています。

武満の作曲したポップ寄りの作品は、いろいろなジャンルの音楽家が演奏しており、聞き比べると面白いです。

そういった、いろいろな人の演奏が聴ける作品のひとつに『死んだ男の残したものは』という、ちょっと暗めのタイトルの曲があります。

いわゆる反戦ソングとして有名な曲で、1966年に武満の親友でもある詩人の谷川俊太郎が、「友竹正則があさっての反戦集会で歌う詩を作ったので、これに曲をつけてくれ」ということで急いで作曲した曲です。

実際、歌詞の内容も

死んだ男の残したものは
ひとりの妻とひとりの子ども
他には何も残さなかった
墓石ひとつ残さなかった


死んだ女の残したものは
しおれた花とひとりの子ども
他には何も残さなかった
着もの一枚残さなかった


死んだ子どもの残したものは
ねじれた脚と乾いた涙
他には何も残さなかった
思い出ひとつ残さなかった


死んだ兵士の残したものは
こわれた銃とゆがんだ地球
他には何も残せなかった
平和ひとつ残せなかった

 

といった感じの、 60年代の時代を反映した重い内容です。

 

心に突き刺さる歌詞で、曲の方も美しく、1966年からいままで実にさまざまなジャンルの音楽家がこの歌を取り上げています。

これは、最初にこの曲を歌った、 友竹正則によるもの。

 

ジャズの坂田明(この人はサクソフォーン吹く人なのですが)が歌うとこうなります。

 

クラシックの人が歌うとこうなりなす。小川明子。

 

で、まあ、本題はここからなのですが、この谷川俊太郎の歌詞、6番までありまして、上に書いたのは4番まで。続きはどうなるかといいますと、

 

死んだかれらの残したものは
生きてるわたし生きてるあなた
他には誰も残っていない
他には誰も残っていない


死んだ歴史の残したものは
輝く今日とまた来るあした
他には何も残っていない
他には何も残っていない

 

お気づきのように、4番までと違い、5番、6番の歌詞は、とても前向き指向のポジティブな内容となります。

戦争でたくさんの人が何も残さずに死んでしまい、みんなもういないのに、

わたしはこうやって生きている。

そして、生きているわたしは、素晴らしい今を過ごし、素晴らしい明日が待っている。

だたそれだけ・・・

 

って感じで、「存在する私がすべて」って感じの、実存主義的な明るい内容にいきなり変わります。

 

これって、歌う方はかなり難しいのではないでしょうか。

実際、多くの歌い手が、この5番、6番をどう処理すべきなのか困っているようにも感じられます。

 

そんな中で、「これが谷川や武満が狙った歌い方なのでは?」と勝手に思っているのが、石川セリの『翼 武満徹ポップ・ソングス』。

 

1番から5番までは淡々とあっさりこなし、間奏で空間を膨らました後、6番へとつなげて終わります。

編曲も見事です。石川セリは旦那の井上陽水と共に、武満家族ととても仲がよかったので、武満のねらいをよく理解していたのではと想像しています。

 

過去はいろいろあるかもしれないけど、そんことはおいておいて、今の世界をポジティブに捉え、未来が良くなることを疑わない人には、明るい今と、明るい未来がやってくる、という極めて楽天的な人生観で、ミルトン・エリクソンエミール・クーエなどの先達の姿勢に通じるところがあります。

 

 

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