メスマー(『メスマー美容術入門01-元祖怪しい人』)やファリア(『メスマー美容術入門03-ゴアの怪人』)、クーエ(『メスマー美容術入門04-催眠術全盛期』)なんて名前は聞いたこともないって人でも、「フロイト」って名前は聞いたことあるのではないでしょうか?そう「精神分析を始めたエライ先生」で、精神医学の神様みたいに祭り上げられている人です。

悪そうなフロイト。まあ、そういう写真を選んできただけですが。

 

ド偉いフロイト先生なんですが、催眠術やっている人の間では評判悪いんです。

ネットでサーチしてみてください

フロイトのどこが凄いねん!ただの催眠術が下手な田舎の心理学者やんけ!

フロイトがエリクソン並に催眠を使いこなせていたら、心理学の歴史は変わっていたでしょう

なんてのがぞくぞく出てきます。

 

『メスマー美容術入門04-催眠術全盛期』に「1889年には、パリで催眠の国際会議が組織され、初の国際会議が開かれ」、この頃が催眠術の絶頂期だったのではないかと書きました。

この会議、正式には「国際実験・治療催眠学会議」と訳される会議らしく、パリで5日間にわたって開催されました。世界中から催眠術の研究をおこなっている医者・研究者が集まり、その中には、既に出てきた、リエボーベルネイムシャルコーに混じり、フロイトも出席してるんです。そう、この頃はフロイトも催眠術を使っていたのです。

 

フロイト(Sigmund Freud, 1856-1939)はユダヤ系オーストラリア人。メスマーよりは100年以上あとの人です。

メスマーと同じく、ウィーン大学に入学し、始めは物理学を学びます。この頃の物理学って、ヨーロッパで熱力学、電磁気理論の全盛期だったので、まさに科学の最前線の勉強をしてたわけですね。

やがて、神経生理学に興味を持ち、動物モデルを使って神経活動を機械論的に解明しようとします。この点、『メスマー美容術入門02-広がる怪世界』で登場したシャルコー大先生と近いんです。

パリのシャルコー大先生。

シャルコーは、催眠術を生理学的に解明しよう、つまり神経の何らかの働きとして説明できるだろうと考えていたんです。科学者としては、まっとうな態度です。

結局のところ、神経生理学で説明できるような催眠による変化を観察できなかったので、器質的な変化ではなく、機能的な変化が催眠現象の根底にあるだろうとかなんとか、落としどころを捜します。つまり、何かエネルギーとかそういうものの流れがどうのこうのというので、説明できるのでは、と考えたのでしょう。で、メスマーの動物磁気みたいなものを復活させて説明しようとしたらしいのですが、上の「国際実験・治療催眠学会議」で、リエボーベルネイム組の「催眠は暗示である」という考え方に負けてしまった、ということになっています。

ま、なんか、しかし闘っている土俵が違うような気もするのですが。シャルコーは、あくまで物理的な説明を追究していたわけですから、定量化できない「暗示だ」と言われてもね・・

面白いことに、フロイトは、この1989年の「国際実験・治療催眠学会議」からさかのぼること数年、1885年の29才頃の時、留学奨学金を得て、パリのシャルコーの元に4ヶ月ほど短期留学してるんです。

留学以前に、フロイトはオーストラリアで、「動物磁気使い」のパフォーマンス、なので、今でいうところの「催眠ショー」を見て、大変興味をもったようです。催眠とはなんぞや、どのような神経の変化なのか、なんて考え出したとき、神経生理学の大家が催眠現象を研究しているのを知り、勇んでシャルコーのところに留学したのでしょう。

この頃から、フロイトは、ヒストリーの研究へと研究テーマをシフトしていようです。『女性用性感治療院』でも紹介しましたように、18世紀、19世紀のヨーロッパでは、ヒステリーというのがとても社会問題になっていたのです。時代病みたいなものなのかな。そこで、パリ留学から帰国したフロイトは、ウィーンで開業し、催眠術を用いたヒステリー治療を始めます。

フロイトはパリ留学から戻り、『男性のヒステリーについて』という論文をウィーンで発表したのですが、これがまたウィーンで大不評。

オーストリアとかドイツとか、当時は男性中心の文化でしたから、「ヒストリーは女の奇妙な病気なのに、われわれ男性にもヒステリーが起こるとは何をほざいとるか!」って感じなんです。そう、『女性用性感治療院』でも紹介したように、ヒステリーってのはこの頃まで、「子宮が体内で暴れることで生じる女性特有の病気」って考えられていたのです。

「せっかくウィーンで厳格な自然科学の訓練をつけてやったのに、フランスみたいな、軟弱な国に行くから、非科学的なことを言い始め出した。シャルコーなんて、ペテン師だ」てな感じで(脚色入っていますが)、ウィーンの偉い先生方は、若いフロイトの言動に眉をひそめます。フロイトは「権威への尊敬よりも事実に対する敬意が優先されなくてはならない」と、反抗します。

サロンさん、フロイトのことあんまり好きでないですけど、でも学者としては一級品であるのは認めますね。フロイトはユダヤ系の人なのですが、ユダヤ人はとにかく頭が切れるのです。アインシュタイン、ファインマン、ヘルツ、パウリ、シュレーディンガーなどなど、ユダヤ人の天才をあげたらきりがありませんし、今でも欧米の大学にはユダヤ系の教授がわんさか。もともとキリスト教やイスラム教の土台でもあるユダヤ教というのが、いわゆる一神教で、唯一絶対の神を崇拝します。なので、唯一絶対の真理を求める学者に向いているのでしょうね。もっとも、フロイドは自らを無神論者であると宣言していますが。

そういうことで、フロイドは、若い頃は結構、何を発表しても誰も認めてくれなくて、淋しい思いをしていたのです。

 

1989年の「国際実験・治療催眠学会議」への出席か関係していたかどうか知りませんが、フロイトは1890年に、今度は、シャルコーの宿敵であった、ベルネイムの元に学びに行くのです。

フランスで催眠治療をばりばりやっていたベルネイム大先生。

おそらく、催眠術の腕では、ベルネイムを中心とするナンシー学派というのは、相当なレベルだったと思います。研究よりも臨床治療に軸足を置いていたような印象もあります。

そんなベルネイムの元で、催眠術を用いたいろいろな治療を目のあたりとし、催眠状態の面白さと、催眠術の限界をフロイトは理解したと思われます。特に、催眠健忘や、逆に、催眠状態で思い出す消えていた記憶に興味をもったようで、このことが、後の「無意識に潜むエネルギーが表面意識に影響する」といった説につながるようです。

ベルネイムの病院での研鑽を積んで帰国したフロイトは、数年ぐらいは、催眠術を利用してヒステリーを治療をしていたようです。

しかしながら、1896年ぐらいに催眠術との訣別を宣言します。つまり、ヒステリーなどの治療には、催眠術は用いないと。

ちょうど、1895年には、フロイトは「ヒステリーの原因は幼少期に受けた性的虐待の結果である」という論文を発表しています。もちろん、猛批判を浴びます。また、今でも、このような単純化しすぎた病因論はとても受け入れられませんが、前後の学問状況を考えると、この時点でのこの仮説は、画期的な説だと言わざるを得まえん。

意識していない何かがエネルギーソースとなって、体によろしくない症状が現れる、ということを論理的にきっちりと提唱したフロイトです。やっぱし偉いいですね。フロイト以前の人も、同じようなことを思っていたり、言っていたりしたのかもしれませんが、それをきっちりと論理的な言葉で発表して、それに対する猛烈な反論を凌いで、最後はみんなに認めさせる、というところまでなし遂げたのがフロイトだったのです。

 「ヒステリーの原因は幼少期に受けた性的虐待の結果である」。では、それをどう治すか?フロイトは、意識が気づいていない、あるいはすかり忘れている、その性的虐待を思い出させ、言葉にして発することから、症状がなくなることを経験していました。

思い出させる方法には、催眠誘導が1つの方法です。催眠術をかけて「あなたの、ヒステリーは、どっかいっちゃいますw」って感じのベタな催眠術は、フロイトは早々に放棄しているはずで、そうではなく、催眠状態で表面意識では消されている過去の記憶を甦らそうとしていたはずです。

フロイトは催眠誘導に指の凝視法などを用いていたそうです。

なのですが、フロイトは、わざわざ催眠状態にしなくても、クライエントをリラックスさせて、自主的に連想を巡らせることでも、忘れていた過去の記憶を表に出すことができ、そうこうしているうちに症状が消失していくことも知っていました。

催眠のかかりやすさは、クライエントにより随分差があるということから、この後者の自由連想法の方が、より一般的な治療法だろうということで、催眠術を放棄したのだと思います。

とかなんとかで、「精神分析」という形式を確立したフロイトは、この頃から世間からも称賛をもって迎えられる時代に入ります。20世紀に入ると、米国や英国で熱狂的に受け入れられます。晩年の1930年代には、ヒトラーのユダヤ人迫害により、ドイツでは実の姉妹がガス室送りで殺されたり、書籍が焼き払われたりと、とても辛い状況だったのですが、学問的にはハッピーに生涯を終えたものと思います(1938年に英国に亡命し、翌年永眠)。

メスマー美容術入門04-催眠術全盛期』で紹介した自己催眠の開祖みたいなクーエですが、晩年フランス、英国では大ブレイクしたのですが、米国で反応がいまいち。その原因の1つは、すでにフロイトブームが米国で起こっており、「こいつ、フロイトが否定した催眠術をまだ使ってる」、なんてのもあったのでしょう。

 

さて、催眠術擁護派からのフロイト批判は、冒頭に述べたように

「フロイトは単に催眠術が下手だっただけやん」

というのと

「自由連想法も催眠術やん」

というものです。

フロイトがほんとに、催眠をかけるのが下手だったのかどうか、サロンさんは知りません。どうも、1954年で出たシェネックという人の論文が火元のようですが、催眠が下手か上手かという評価も、なかなかつけにくいものだけに、このフロイト批判はどうなのかなと思います。

むしろ、「自由連想法も催眠術やん」の方が的を得ています。

20世紀に入り、催眠術の概念はどんどん拡大解釈され、もはや催眠術という言葉で言い表すのに違和感がある状態になってきます。この拡張した催眠の考え方からすると、自由連想で導かれる心理状態は、まぎれもなく(拡張された)催眠心理状態です。

次回は、この催眠概念の拡大に大きく貢献することになるミルトン・エリクソンを紹介しましょう。

最初に出てきた

フロイトがエリクソン並に催眠を使いこなせていたら、心理学の歴史は変わっていたでしょう

ミルトン・エリクソンです。

 

催眠世界のカリスマ、ミルトン・エリクソン。

 

(参考文献)

Bachner-Melman, R. & Lichtenberg, P. "Freud's relevance to hypnosis: a reevaluation." Am J Clin Hypn, 44:37 (2001).

成瀬吾策『催眠の科学-誤解と偏見を解く』 

 

貴重なフロイドの実写動画が見られます。

 

20世紀中頃は米国を中心に精神分析の全盛期。ウディ・アレンの映画などによく出てきました。

 

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連載『メスマー美容術入門』