メスマー美容術入門02-広がる怪世界

メスマーにより18世紀後半に始められたメスマー治療術、一時は消えかかりますが19世紀の終わりに黄金期を迎えます。

 

 

 

メスマー美容術」の名前にもなっているメスマー先生、『メスマー美容術入門01-元祖怪しい人』で紹介しましたように、「動物磁気」なる不思議な力が存在し、これで病気は何でも治せるんだと怪しいことをやっていたのですが、パリで公開吊し上げにあって、消されてしまいます。お上品なご婦人を集めて、「気持ち良く美しくなりますよ〜」なんてやってたので、風紀を乱すケシカラン輩とみられたのかもしれません。1784年頃ですから、日本では天明の大飢饉が起こっていた頃です。

で、メスマー先生を葬り去った調査委員会ですが、さすが当時の最高頭脳が集まっていただけあって、「動物磁気」なるものの物理的存在は否定したものの、メスマーの治療によって引き起こされる肉体的な現象・・これは、催眠誘導の結果なのですが・・そのものは「人間の想像力によって引き起こされる現象」と認めているんです。委員によっては、「興味深い現象なので、さらなる研究が必要だ」とも言ったそうです。

とはいうもの、世間一般では「やっぱり怪しい治療なんだ〜」てことで、表だって「動物磁気治療」はできない状態。一部の支持者がひっそりと動物磁気治療をおこなっていた模様です。

ところがですね、メスマーが1815年に亡くなって、それから何十年かたった、19世紀の中頃、再びこの「動物磁気治療」に日が当たり出すのです。そして19世紀の後半に向かって、催眠術の黄金期を迎えます。何人かのキーパーソンが登場しますので、順に紹介しましょう。

 

まずは、イギリスのジェー ムズ・ブレイド(James Braid, 1795-1860)。

 

英国紳士のブレイド先生

ブレイドはマンチェスターの外科医だったのですが、1841年頃(日本はまだ江戸時代)にメスマーの「動物磁気治療」を知ります。

これは、なかなか面白い。動物磁気なんて関係なさそうだけど、確かに人間はある条件で不思議な状態になるぞ、ということで研究します。

その結果、「何かをじっと『凝視』することで、生理的機能の変化が起こり、睡眠に似た状態になるみたい」と結論し、これを「催眠=hypnotism」と名付けたのです。「hypno-」ってのは「睡眠」を意味します。この造語が今でも生きているんですよね。「ヒプノセラピー」とか聞いたことあるでしょ?

ブレイド先生は、王室外科医学会で催眠中に無痛での外科切断手術に成功させたり、知覚障害の治療をおこなったりで、一躍「催眠=hypnotism」に医学者の関心が集まります。

なにせ、当時は麻酔薬なんてまだないので、「麻酔無し」で外科手術してたんですよ。信じられます?外科手術での死亡率も異常に高かった時代ですので、無痛で手術できるというのは、死亡率も下げるし、画期的だったのです 

ブレイド先生は、人間には「第二の意識がありそうだ」とまで考えていたので、「意識」「無意識」の考え方は、この時点で既に生まれていたのでしょうね。

でもね、「凝視」だけでは催眠はかかりません。

 

さて、ところ変わって、フランスのロレーヌ地方のナンシーという都市。

イギリスでは、ブレイドの凝視法がブレイクしつつあった1864年(日本はまだ江戸時代)に、アンブロワーズ=オーギュスト・リエボー(Ambroise-Auguste Liébault, 1823-1904)という開業医がひっそりと「動物磁気治療=催眠術」を使い出します。

町の診療所では怪しげな治療をやっているという噂が、ナンシー医学校の学長、イポリート・ベルネーム(Hippolyte Bernheim, 1840-1919)の耳に入ります。

「そのような怪しい治療法をおこなうとはケシカラン!」とベルネイム学長、リエボーの診療所に叱りに行きます。

ところが・・・

「ありゃ?!凄いやん。効いてるのちゃう?」と、すっかりリエボーのファンになってしまったか?

それでもって、リエボー&ベルネイムのユニットで、「ナンシー学派」と名乗り、催眠術の普及を始めます。

 

ミイラ捕りがミイラになったフランスのベルネイム先生

ベルネームは内科医だったのですが、 催眠誘導の本質が「暗示」であると結論します。

今の催眠学では、催眠は「トランス状態」になった時に「暗示」を入れることがセオリーとなっていますが、イギリスのブレイドは「トランス状態」を誘導する方法の1つである「凝視法」に注目し、フランスのベルネームは「暗示」に注目したわけです。

 

このようにして、19世紀後半の催眠術の黄金期に向かいます。この頃の有名なエピソードを1つ。

リエボー&ベルネイムのフランスのナンシー学派ユニットがブレイクしたのですが、パリでも大きな動きがあります。

その中心が ジャン=マルタン・シャルコー (Jean-Martin Charcot、1825-1893)

パリの偉いシャルコー先生

シャルコーは医学者としては大物です。

解制学・神経学でかなりの立派な業績を残しています。

クリションマンの故郷』なんかにも書いていますが、お医者さんの中でも、解剖学者は特に偉いのです(少なくとも当時は)。しかも、目に見えないものは信じたくない人達。『Gスポット大戦』にもありますように、「Gスポット?そんなもん、いくら目を凝らして観察しても、どこにもないじゃないの?」って考え方をする傾向があります。

シャルコーも「暗示?なにそれ?そんな主観的現象は、科学にあらず!わしが、科学的に解明してやる」と、パリで催眠の研究を始めます。

なんせ、えらい先生ですので、研究に必要な患者さんもたくさんいます。

あれやこれや催眠研究をして、出した結論が「これはどうも動物磁気によるものだな」みたいな感じ。ある意味、メスマーを復活させます。

そして、リエボー&ベルネイムと論争が始まります。

なんせ、大都会パリの重鎮ですからね。東大医学部の学科長vs地方医科大の学長の対決、みたいな感じだったのでしょうか?

当時のシャルコー先生の催眠研究は、フランス映画『博士と私の危険な関係』にもなっているんです。

大きな講義室で若い女性患者を被験者として公開催眠とかかけて、今の催眠AVのネタにでもなりそうなことをやっていたんですね。

この映画、なかなか奥が深そうなストーリーですが、残念ながら日本では未公開。

 

で、話を戻して、「リエボー&ベルネイム」vs「シャルコー」の論争、19世紀の終わり頃から催眠の国際会議が組織され、世界中の催眠研究家が慎重に吟味して、「リエボー&ベルネイム」ユニットの手を上げたのです。つまり、催眠は、メスマーの調査委員会が結論を出したように「人間の想像力によって引き起こされる現象」だったのです。

まあ、つけ加えますと、「こころ」vs「もの」の対決、この時点では「こころ」の勝ちに終わったのですが、「こころの働き」もつきつめれば、ニューロンの電位がどうのこうの、シナプスの連結がどうのかんの物理現象にいきつくわけですから、生理反応としての催眠現象を解き明かそうとしていたシャルコーも、「動物磁気」という物理的存在を仮定して説明しようとしていたメスマーも、科学者としては正しい態度だったわけです。ですが、「こころ」の物質レベルでの説明は、いまだもって現在進行形で研究されているわけでして、18世紀、19世紀では、結論を出すにはあまりにも早すぎたわけですね。

 

ということで、このようにして「こころの科学」が19世紀の終わり頃から本格的に始まることになります。次回は、いよいよフロイトクーエなどが登場する19世紀から20世紀に移り変わる時期のメスメリズムの展開を見てみましょう。

 

参考文献

  

 

パリの偉い偉いシャルコー先生を題材にしたフランス映画『博士と私の危険な関係』

 

 

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